「世界遺産ってなんか堅苦しい」
「世界遺産のタイトルも抽象的だし何がすごいのか良く分からない」
「解説を読んでもポイントが良く分からない」
この記事はそんな方に向けて書いています。
様々なサイトで世界遺産については説明されていますが、どのサイトも難しいです。
それは情報量が多すぎて、事前知識がないと理解しづらいからです。
この記事では、国内23の世界遺産を制覇し年間50回以上国内を旅行する筆者が、簡単に理解したいという方のために世界遺産に登録された理由をたった3行で分かりやすくシンプルに解説します。
世界遺産に登録された理由を理解すると、旅先での見方は変わります。
それは世界遺産への登録理由こそが「他の観光地とは一線を画す」理由だからです。
世界遺産の概要を理解して、ぜひ現地に足を運んでみましょう。
「明治日本の産業革命遺産」は急速に近代国家になった日本の道のりを示す
[登録年]:2015年
[所在地]:福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、山口県、岩手県、静岡県
[登録区分]:文化遺産
[登録名称]:明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
西洋から遠く離れた日本は徳川幕府の鎖国政策によって江戸時代から明治時代にかけて海外の技術がほとんど入ってきませんでした。
しかし、19世紀後半から20世紀のはじめにかけて西洋の技術を取り入れることで日本は一気に近代化します。
たった半世紀で近代的な産業国家となったことは「東洋の奇跡」と呼ばれ、先進国を驚かせました。
「明治日本の産業革命遺産」は、急速に近代産業国家になった日本の道のりを示す世界遺産です。
また複数の地域にまたがる資産をひとつの世界遺産とする「シリアル・ノミネーション」の日本初の例でもあります。
構成資産は九州を中心に8つの県にまたがる23の資産で構成されています。
《世界遺産の構成資産》
- 萩(山口県)
- 萩反射炉
- 恵美須ケ鼻造船所跡
- 大板山たたら製鉄遺跡
- 萩城下町
- 松下村塾
- 鹿児島
- 旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)
- 寺山炭窯跡
- 関吉の疎水溝
- 韮山(静岡県)
- 韮山反射炉
- 釜石(岩手県)
- 橋野鉄鉱山
- 佐賀
- 三重津海軍所跡
- 長崎
- 小菅修船場跡
- 三菱長崎造船所第三船渠
- 三菱長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン
- 三菱長崎造船所旧木型場
- 三菱長崎造船所占勝閣
- 高島炭鉱
- 端島炭鉱
- 旧グラバー住宅
- 三池(福岡県、熊本県)
- 三池炭鉱・三池港(三池炭鉱宮原坑、三池炭鉱万田坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港)
- 三角西港
- 八幡(福岡県)
- 官営八幡製鉄所(八幡製鐵所旧本事務所、八幡製鐵所修繕工場、八幡製鐵所旧鍛冶工場)
- 遠賀川水源地ポンプ室
明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されている3つの理由
明治日本の産業革命遺産が世界遺産に登録されている3つの理由を紹介します。
わずか50年で近代国家の仲間入りを果たした道のり
江戸時代に鎖国していた日本は、西洋諸国から産業が大きく遅れていました。
しかし西洋諸国の技術を取り入れるようになると、わずか50年で近代国家の仲間入りを果たします。
江戸時代に外国の脅威を目の当たりにする
最初の転機はアヘン戦争(1842年~)
最初の転機となったのはアヘン戦争でした。
これまでアジア最強と思われていた中国・清がイギリスに大敗したのです。
これにより日本の侍たちは衝撃を受け、「外国の侵略から国を守るためには西洋の技術を取り入れて近代化する必要がある」と決意しました。
ペリーの黒船来航(1853年~)
追い打ちをかけるようにアメリカのペリーが黒船で神奈川県・浦賀沖に来航しました。
欧米の脅威を身に染みて感じた幕府は、力のある諸藩に大型の軍艦を造るよう命じ、日本の各地に造船所が造られるようになります。
明治時代に急速に近代化が進む
明治時代に入ると近代化がさらに加速します。
富国強兵によって製鉄・製造が発展(1873年~)
明治政府は西洋に負けない強い国をつくるために経済の発展と軍事力を強化しようと富国強兵を掲げます。
こうして国営の製鉄所や造船所が建設され、製鉄・造船に力が入れられるようになりました。
その燃料となる石炭の発掘も本格化したのがこの頃です。
お雇い外国人を雇って西洋の技術を学んだ(1973年~)
各工場では西洋の技術を学ぶために、外国人技術者を積極的に採用するようになります。
有名なお雇い外国人のひとりに、フランス人技師・ブリュナがいます。
ブリュナは富岡製糸場を造設した技術者でした。
民間企業の手でますます産業が発展する(1880年~)
1880年代になると民間企業が力をつけてきます。
そこで政府は官営の工場を民間企業に任せることとし、こうして流れで生まれたのが三菱や三井をはじめとする財閥でした。
鉄の国産化を目指す(1901年~)
これまで軽工業は発展してきましたが、製鉄や造船などの重工業はまだ成長してはいませんでした。
それは重工業の源である鉄を輸入に頼っていたからです。
そこで政府は官営八幡製鉄所を設立し、鉄の国産化を目指しました。
これまでの産業革命によって国力が増大する(1901年~)
官営八幡製鉄所をはじめとして国内の重工業が発展していくと国力が増大し、日清戦争・日露戦争と大国を戦争で打ち破るようになります。
こうして開国から50年あまりで急速な近代化を成し遂げた日本は、一気に国際的な地位を高めました。
現役で活躍する産業革命遺産
設立されてから100年以上たった今でも現役で活躍している工場があります。
これらは稼働資産と呼ばれ、稼働資産を含む物件が世界遺産に登録されたのは日本では「明治日本の産業革命遺産」が初めてでした。
八幡製鉄所修繕工場
八幡製鉄所修繕工場は、1900年に設立した日本最古の鉄骨建築物です。
現在も新日鉄住金八幡製鉄所の施設として稼働しています。
三池港
遠浅で干満の差が大きい有明海は大型船が接岸できませんでした。
そのため1908年に大型船が直接荷積みできる港として開港したのが三池港です。
今も現役の港として活躍しています。
長崎造船所ジャイアント・カンチレバークレーン
大型の機械を船に積むために1909年に日本で初めて導入されました。
世界的にも同型のシリーズで現存しているものは少なく国際的な価値が高いと称賛されています。
海のそばで鉄を使い続けるには塩害との闘いなので、いかに丁寧にメンテナンスされてきたのかが分かります。
こちらも現役で稼働しています。
まとめ
「明治日本の産業革命遺産」の紹介はいかがだったでしょうか。
簡単でもいいので世界遺産については絶対に登録理由を知ったほうがいいです。
それは世界遺産が「他の観光地とは一線を画す」からです。
この記事が、ちょっとでも目線が変わるお役に立てれば嬉しいです。
以上、<なぜ「明治日本の産業革命遺産」は世界遺産?その理由を3行で分かりやすく解説!>という話題でした。