「世界遺産ってなんか堅苦しい」
「世界遺産のタイトルも抽象的だし何がすごいのか良く分からない」
「解説を読んでもポイントが良く分からない」
この記事はそんな方に向けて書いています。
様々なサイトで世界遺産については説明されていますが、どのサイトも難しいです。
それは情報量が多すぎて、事前知識がないと理解しづらいからです。
この記事では、国内23の世界遺産を制覇し年間50回以上国内を旅行する筆者が、簡単に理解したいという方のために世界遺産に登録された理由をたった3行で分かりやすくシンプルに解説します。
世界遺産に登録された理由を理解すると、旅先での見方は変わります。
それは世界遺産への登録理由こそが「他の観光地とは一線を画す」理由だからです。
世界遺産の概要を理解して、ぜひ現地に足を運んでみましょう。
百舌鳥・古市エリアは政治・文化の中心地して強い権力を誇った
[登録年]:2013年
[所在地]:大阪府堺市・藤井寺市・羽曳野市
[登録区分]:文化遺産
[登録名称]:百舌鳥・古市古墳群-古代日本の墳墓群-
百舌鳥・古市古墳群は令和に入って初めての世界遺産登録であり、大阪府としても初の世界遺産登録となりました。
4世紀後半から5世紀後半は古墳建造の最盛期時代で、全国各地に16万もの古墳がつくられました。
なかでも百舌鳥・古市エリアは特に古墳の数が多く、政治・文化の中心地のひとつとして強い権力があったことが分かります。
最大の古墳は仁徳天皇陵古墳で、世界一大きい墳墓です。
《世界遺産登録地域》
2つのエリアが世界遺産に登録されています。
- 大阪府堺市の百舌鳥エリア
- 仁徳天皇陵古墳を含む23基
- 大阪府藤井寺市・羽曳野市の古市エリア
- 応神天皇陵古墳を含む26基
実際に百舌鳥古墳群を訪れた記事はコチラをご参照ください。
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されている3つの理由
百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されている3つの理由を紹介します。
百舌鳥・古市古墳群はどんなところ?
全国で建造された古墳群のひとつで最大規模を誇る
4世紀後半から5世紀後半は古墳の最盛期で、全国で16万もの古墳が建設されました。
中でも百舌鳥・古市エリアは巨大な王墓を含む多数の古墳が建造され、1600年経った今も都市の中に多数健在しています。
このような状態で現代まで保存されている古墳は世界的にも類を見ません。
百舌鳥・古市エリアは全国でも最大規模を誇り、政治・文化の中心地として強い権力があったことが分かります。
巨大古墳を建設することで国内外に権力を示した
巨大な古墳群は、中国や朝鮮半島などの大陸と通じる航路の発着点であった大阪湾に近い平野上に築造されました。
目的は大陸から来た人に大きな権力国家の存在を知らしめるためです。
このことからも当時の王朝は海外に目を向けていたことが分かります。
百舌鳥・古市古墳群は東アジア情勢へ権力を示した日本列島の人々の歴史を物語っています。
建築デザインも傑作だった
古墳は全部で4種類の形があります。
- 前方後円墳
- 帆立貝形墳
- 円墳
- 方墳
世界各地の多くの墳墓は、棺や室に盛土・積石しただけのものです。
一方で百舌鳥・古市古墳群は、長さが500m近くある世界最大規模の大型古墳から周囲に付属するように造られた長さ20~40m程度の小型古墳まで存在し、外観は埴輪などの土製品で飾り立てられた世界でも稀な幾何学的なデザインを誇っていました。
古墳の代表的な形は前方後円墳です。
前が方形(四角形)で後ろが円形になっている形は日本と朝鮮半島しか存在しません。
お墓は円形部分にあり、方形部分はお墓に通じる道が変化したものと言われています。
社会階級の違いで異なった葬送を行っていた
百舌鳥・古市古墳群から、社会階層の違いを示す高度に発達したお葬式の文化が存在することが明らかになりました。
大小さまざまな形の古墳が社会の秩序を表現していました。
朝鮮半島との貿易で建設技術を獲得
この当時、大阪府堺市では朝鮮半島など大陸とさかんな交流がありました。
古墳建造でも大陸の最新技術が取り入れられており、土建建造物のたぐいまれなる技術の到達点を示しています。
また大陸と積極的な交流を行うことで、国際社会の仲間入りも果たしました。
世界最大級のお墓「仁徳天皇陵古墳」
百舌鳥エリアの仁徳天皇陵古墳は世界三大墳墓のひとつ
大阪府堺市の百舌鳥エリアにある仁徳天皇陵古墳の大きさは世界最大規模で、世界三大墳墓のひとつと言われています。
三重の濠があるのは仁徳天皇陵古墳だけ
数多くの古墳の中でも三重の濠があるのは仁徳天皇陵古墳だけです。
三重の濠になるほどの土が必要だったことからも他の古墳とは違う別格の大きさであったことが分かります。
建設にかかった日数は15年以上
仁徳天皇陵古墳ほどの大きな古墳を造るには、毎日2,000人が労働したとして延べ15年8ヵ月の工期がかかると大林組が試算しました。
実際には雨や雪で工事ができない日もあったことから20年ほどの月日を要したと言われています。
これだけ大規模な建設物を造るには高度な技術が必要でした。
設計力・土木技術・金属加工技術など当時から最高の技術力を持ち合わせていたのです。
また古墳の建設には当時交流のあった中国や朝鮮半島からわたってきた人たちの知識と技術も活用されました。
この建設技術がのちに全国に広まっていきました。
古墳時代以降管理はされていなかった
古墳時代以降は積極的に管理されてこなかったので、現在では森におおわれるようになってしまいました。
一番外側にある3番目の濠も時間の経過とともに埋まってしまいましたが、幕末から明治にかけて濠の再掘削が行われ現代の姿に近くなりました。
誰のお墓なのか解明されていない
古墳は全国に16万ほどありますが、そのほとんどは葬られている人物がわかっていません。
人物を知るには古墳が造られた時代から推測しかありませんが、形も変わっているので時代の特定が難しいのが現状です。
百舌鳥・古市古墳群はその巨大さから天皇の墓だったと言われていますが、本格的な発掘調査は行われていないので確かな証拠はありません。
古墳群は今もなお謎に包まれていて、多くの人を引き付けています。
まとめ
「百舌鳥・古市古墳群」の紹介はいかがだったでしょうか。
簡単でもいいので世界遺産については絶対に登録理由を知ったほうがいいです。
それは世界遺産が「他の観光地とは一線を画す」からです。
この記事が、ちょっとでも目線が変わるお役に立てれば嬉しいです。
以上、<なぜ「百舌鳥・古市古墳群」は世界遺産?その理由を3行で分かりやすく解説!>という話題でした。